三峡遊覧旅日記

23回目となる校友会の旅行は長江クルーズをメインに、重慶、三峡ダム、武漢を見学するもので、今年も金団長、添乗員の森田さん、栗原が同行し、3月27日~4月1日の5泊6日の日程で実施された。

 

3月27日(火) 第1日目


成田発、南京経由で、クルーズ船の出発地重慶へ。重慶への直行便もあるが、旅行費を抑えるために乗り継ぎにしたので、重慶には夜到着。遅い時間にもかかわらず、美味で品数豊富な夕食を堪能。解放碑の立つ繁華街は沢山の商業ビルが立ち並び眩しい程の明るさだ。これも三峡ダムの発電力の成果かと感心する。ガイドは日本への留学経験がある山東省出身の王文勇さん。宿は「ヒルトン重慶」。夜着いて朝出発という短い滞在が非常に残念に感じられる豪華なホテルであった。

 

3月28日(水) 第2日目


朝から雨。乗船まで市内観光する。重慶はかつて四川省に属していたが、1997年に直轄市になった。映画『ションヤンの酒家』(霍建起監督)の舞台になった街である。先ずは重慶の伝統建築、吊脚楼様式の建物を復元した「洪崖洞」へ。商業施設で、とても不思議な外観を持つ。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋に似ていなくもない。小さな土産物店が沢山入っていた。見学時間は30分。さっと見て買い物をする。金団長は鼻が利く。短時間で土地の名物を沢山購入していた。買い物するときは団長の後に付いて行こうと密かに思う。次は「湖広会館」等の建築群。1759年乾隆帝時代に創建され、

「杏花村」という家庭風の料理店

その後増築されたという。禹王宮は、精緻な彫刻を施した京劇の舞台が印象的であった。「湖広会館」は移民資料館になっていた。移民の理由に「虎出没危険」とあり、人が虎に襲われている絵が展示されていて、驚くと共に生き抜くことの大変さを知らされた。長江と嘉陵江に架かる「長江大橋」はバスの車窓から見学。昼食は桃源郷を思わせる「杏花村」という名の店で、家庭風料理を頂く。その後日程表にはなかった「磁器口古鎮」へ。その名の通り明・清時代に陶磁器を生産し、輸送した街だそうだ。現在も古い建物が乗っており、一瞬タイムスリップしたかのような錯覚に陥った。この街の通りを雨の中、あちらこちら散策した。川劇を見せる店には変面の役者がいて、道行く人を楽しませていた。陶器口古鎮に別れを告げ、バスに30分ほど揺られ人民広場へ。人民大礼堂の外観を見学。北京の天壇を思わせる建物は直轄市重慶の威厳を感じさせる。希望者は礼堂内を参観。続いて大礼堂の反対側にある「三峡博物館」へ。大パノラマ映像で大昔の重慶から現在の重慶へと歴史をたどる。船に乗って見ているように演出された三峡の風景はとてもリアルで鑑賞が終わると、旅が終わったかのようにさえ感じられた。限られた時間の中で、その他の展示物を見て回る。古代から現代まで、コンパクトに纏められている。館内にはミュージアム・ショップが設けられ、高いデザイン性と品質で値段も手ごろな記念品が売

夕食は「広場賓館」で本場の中国料理を堪能

られていた。此処でしか買えないので、お土産には最適だと思われた。その後夕食までの時間は地域の人々が利用している自由市場を見学。夕食時にも関わらず、男性より女性の方が沢山麻雀をしている事が興味深かった。夕食は重慶の名物料理で、王さんは「皆さんの好きな麻婆豆腐が出ますよ」と言っていたが、王さんは辛いものが苦手だそうで、恐らく日本人もそうだろうと判断したのか、さっぱり麻婆らしくなかった。当然のことだが火鍋が出るかもという期待はあっさり消えた。夕刻、いよいよ乗船だ。小雨の降るなかをフェリー埠頭から15分ほど歩いて乗り場へ移動。何艘か停泊している船の中に、これから3日間過ごすことになる船ビクトリアカタリナ号の華麗な姿があった。

 

3月29日(木) 第3日目


山に聳える9層建ての楼閣

朝は太極拳で始まった。師父について練習。中国と英語を交えて指導する。参加者は我々交友会メンバーとインド人とおぼしき人達。思ったより練習する人は少ない。食事はビュッフェ形式で、予想以上に品数豊富で美味しく嬉しくなる。船だから大したことはないだろうと思っていたのだ。私としては、美しい名の店よりも気に入った。聞くところによればイタリア船籍らしい。我々の団を担当する服務員は20歳前後で初々しく、一所懸命働いてくれる。船は三峡を快適に航行して行く。最初の下船地は豊都。オプションで「鬼都」を見学できる。夕方は全員上陸して「石宝寨」へ。ダムができたため、孤島となった山に聳える9層建ての楼閣を見学。頂上までの登りの辛さを一瞬にして忘れさせる程、夕映えの風景はみごとであった。夕食後はスタッフによる「中国民族衣装ショー」が上演された。彼らは休憩時間があるのだろうかと思うほどよく働く。後で聞いたことだが、船が接岸し我々が上陸している間が彼らの休憩時間らしい。ショーの踊りは先輩たちから教えてもらうこと、給料とは別に出演料が出ることなども分かった。

 

 

 

3月30日(金) 第4日目


巫峡神女峰(右下方の小さい突起)

私にとっては念願の「白帝城」(オプション)に愈々登る。新緑の中350段程の石段をゆっくり歩く。足腰の弱い人には籠があって料金を払えば、担いで登ってくれる。「早に白帝城を発つ」という李白の詩が脳裏に浮かんだが、ここでは猿の声は聴かれなかった。疲れたと思う頃、「白帝城」と書かれた黄色い大きな門が目の前に立ちふさがった。古色蒼然としていると思っていたので意外であった。社会科授業だろうか、多くの小中学生が見学に来ていた。城とは別にこの地方の埋葬の習慣を説明した展示を見る。崖の間に棺を挟み込むのだ。あんなに高い険しい崖にどのようにして棺を運んだのかという疑問への解説は無かった。我々は白帝城を離れ、再び乗船。左手に蜀の古桟道を眺めつつ、正午ごろ「瞿塘峡」を通過。映像や写真で見た通りの美しく雄大な風景を堪能。更に一時間ほどで「巫峡」に差し掛かった。航行速度は思ったより速い。船はここで停止し、我々は三峡の風に吹かれながら風景を楽しむ。有名な女神峰は高い高い峰の頂上に佇み目を凝らして見てやっと発見。長江の支流にある「神女渓」へは小船に乗り換えて向かった。観光客が多いので、小船は隊を組むように数珠繋ぎで進んでいく。船のガイドは土家族の若い女性で日本人を見るのは初めてだという。少し前田敦子に似ていた。公友会メンバーの中に、中国語ネイティブの会員がいたが、土家族の彼女はどうしても中国人だとは信じず、哈爾濱人だと聞いてやっと納得したようだった。自宅から3時間かけて山を下り出勤し、又山を登って帰宅するのだそうだ。iPhone片手にきれいな普通語で熱心に解説してくれた。船が人工の陸地に到着し下船すると、船のガイドたちが歌と踊りで歓迎してくれた。とても賑やかでエネルギッシュだった。神女渓に別れを告げるとき、土家族のガイドさんと一緒に記念写真を撮った。彼女の目には日本人はどのように映ったのだろう。夜は船長主催の送迎ディナーが用意された。食後は「歌謡ショー」。特にサクッスによる演奏―曲目は「上海灘」映画「シャンハイ・タン(上海灘)」の主題歌―は見事ですっかり魅了されてしまった。今夜は最後の晩なので、旅客も踊りの輪に加わるなど、前日より更に充実した思い出深いショーになった。

 

3月31日(土) 第5日目


クルーズ船に別れを告げ、三峡ダムのシップゲートを通過する。水門を通過するために体験船(客船から乗り換えた船)は慎重に船の角度を調節している。水門に入ると船は蓋のない大きな箱の中に入れられた感じで、水門が閉じるとそのままエレベーターが下降するような状態になる。規模があまりにも大きすぎてビデオ映像で説明を聞くも(字幕あり)ほとんど理解できないまま船はすんなりと通過し宣昌に上陸。気温30度。暑い。

「黄鶴楼」はイルミネーションが施され、燦然と輝いていた

水門に入ると船は蓋のない大きな箱の中に入れられた感じ

とにかく暑い。バスを乗り継ぎ三峡ダムを上から見下ろす公園に到着。ダムは巨大すぎて距離感がわからない。しかも暑い。只とてつもなく巨大なプロジェクトであることだけは分かった。宣昌の町は川沿いに公園が整備され、緑と花の多いきれいな所だった。此処を離れ高速道路を一路武漢へ。バスはエアコンが入っているから快適である。窓外に目を向けると、墓に供え物がなされ清明節が近いことを告げていた。夕刻に武漢の町に入った。有名な「黄鶴楼」はイルミネーションが施され、燦然と輝いていたが、パチンコ店のようで文化財の風格は感じられなかったが、昼間見れば違った印象になったかもしれない。

 

 

 

4月1日(日) 最終日


武漢空港

朝はゆっくり起きて、ホテル付近を散策。小さな文具店兼本屋を発見。小中学生の参考書等を扱う店のようだった。営業時間前で、食事中にも関わらず、店の女性は親切に店を開けて、買い物をさせてくれた。此処で中国語学習用に沢山雑誌や作文指南という本やらを買い込んだ。帰路は国内線で武漢から上海へ。上海で更に国際線に乗り換え、一路羽田空港へ。行きは成田で帰りは羽田というのは便利で好きだ。今度の旅は3日間船で過ごしたのでのゆったりしたものになった。私は初めての船旅であったが、ダムができる前の三峡の船旅に比べれば格段に便利で快適なものだったのでないだろうか。長江の水も黄土色ではなく、深い緑色であった。三峡の雄大な流れ、神秘で奇怪な山の峰々。若くて元気な乗務員。少数民族ののガイドさん。どの場面も深い感銘を受け、忘れがたい旅となった。