第I期 1993~2004年
1994年3月 第1回 長谷川先生と行く「胡同の北京,開発の大連」(参加60名)
昨年3月末に実施した倉石中国語講習会実験クラスの香港・広州の旅が予想以上に好評だったので,それに味をしめて,日中学院校友会でも中国の旅行を企画してはどうかと,校友会副会長の棗田さんから提案されたのは,たしか昨年の秋のことであった。もしこの企画を実行すれば単独企画では校友会はじまって以来の最初の大きなイベントになるとのことであった。最初は船旅で夏体みと考えたが校友会事務局を中心としたアンケートその他によって,最終的には時期は1994年の3月,往復は飛行機,訪問地は北京・大連ということに落ちついた。
北京の見学場所はわたしに一任ということになった。たった2日間の見学時間ではあれもこれもと欲張ることはとうてい無理なことである。できれば普通のツアーのコースにははいらない普段着の北京にすこしでも触れてもらいたいと思ったので,北京の胡同を中心にコースを考えた。胡同の生活といえば北方の古典的な住宅形式である四合院の見学もなかに入れねばならぬ。連続テレビドラマ「紅楼夢」のセットあとの大観園を見学のコースに入れてはという提案もあったので,テレビ画面ではごま化せるが実物はあまりにもセットまるだしなので,それなら恭王府の庭園も加えよう。こうして以下のようなコースがきまった。第1日目のコースは午前はまず北方道教の最大拠点で,北京でもっともふるい道教の白雲観,北京で回教の人びとがもっともおおく住んでいる牛街のイスラム寺院の礼拝寺,北京でもっともふるい寺院で仏教学会のおかれている法源寺の見学。ひるは紀暁嵐の閲微草堂のあとであり,解放前の一時期梅蘭芳も住んだことのある虎坊橋の晋陽飯荘で刀削麺。午後は琉璃厰で見学買物,前門で箭楼にのぽり大柵欄を見学買物。前門外の全聚徳で烤鴨を食べ,夜は昨年復活した天橋の天橋楽茶園で寄席の芸を楽しむ。晋陽飯荘では費用の点から刀削麺を中心に2,3品の料理という簡単な食事を考えていたが,それが不可能で,結局交気ワールドの出血サービスで,香酥鴨はじめつぎつぎとおいしい料理が出,刀削麺のほかに撥魚の麺料理が出るという豪華宴会になってしまった。またちょうど全人代が開催中というので箭楼にはのぼれず,またオプションで故宮・十三陵・八達嶺の見学を希望する人びともいたので,その人たちとは行動を別にし夕食で合流することになった。
第2日目の午前は什刹海附近の住宅街のしずかなたたずまいを味わうことと恭王府の庭園,もと恭王府の-部であったといわれる郭沫若故居,昔からの胡同風情がそのままのこる後圓恩寺胡同の散策と茅盾故居。町中の四合院のかなりの部分は数家族の住む大雑院に変化しており,解放後はさらに困難な住宅手事情から院子の部分に建増しをおこない,四合院の原形をほとんどとどめないが。このふたつの故居は四合院の構造のなか一部分が省略されてはいるものの,完全な形でのこされており,さらに茅盾故居ではたまたま茅盾学会の例会が開かれていて今年71才になられている茅盾の息子さんもおいでになっていて,一行で記念撮影ができたのは望外のよろこびであった。星食は東来順で涮羊肉を食べ,食後王府井を散歩しようと考えていたが,ちようど東安市場を中心とする一帯が建て替え中で,東来順は歴史博物館の南側の一見新疆風の室内インテリアの蒙華な建物で営業していた。そこで食事前たまたま細川首相の歓迎でたいそうな人出の天安門広場を見学し,午後は王府井の見学買物,ロシヤ・東欧の洋倒爺が絹織物を買いにやってくるという秀水街の見学と友誼商店での買物で北京のスケジュールをしめくくった。
昨年の香港・広州旅行のときも棗田さんのお世話でTBSの特派員,中国側の担当者,実務家などに香港97年問題と広州経済特区のことを勉強する座談会をもったが,今度の旅行でも,同じく棗田さんのお世話で北京到着の夜,読売新聞の北京支局長荒井利明氏,朝日新聞の特派員永持裕紀氏をおよびして中国の諸方面にわたって当面する問題について約1時間半ほど講義してもらい,さらに有志の人びとは場所を変えて夜11時半までお二方に情報を提供してもらったという。また大連でも経済技術開発区を見学するまえにホテルで約1時間,特区の建設の最初から関係していたという東京銀行の大連副支店長の梅村賢二氏に10年来の大連の変化および特区の外国資本の投資とくに日本資本の投資状況について詳しい説明をうけることができた。わたしは82年の夏に一度大連をおとずれたことがあり,そのとき食べた渤海飯店の海鮮料理がとても新鮮だったので,今度もそこを指定したが,案内されたレストランは渤海という名はついていたが場所がちがっていて,内心はびくびくしていた。しかし,出されたものは予想以上の海鮮ずくめであったのでほっとした。
自画自賛になるかも知れないが,主として交気ワールドの松田社長の出血サービスと参加者の協力によって,たった2日間の北京,1日間の大連見学ではあったが,見学内容はきわめて濃いものであり,ホテルは一級,晋陽飯荘の山西料理,前門全聚徳の烤鴨,東来順の涮羊肉,大連の海鮮料理を賞味できたという,10万あまりの料金では到底考えられない豪華版で,すべての参加者に満足していただけたのではないかと思っている,もし将来またこのような旅行のリクエストがあったとしても,おそらくこんなにうまくゆかないだろうという気がしている。最後にこの旅行の実現のために最初からいろいろ骨折りくださった校友会事務局の人びとに心からお礼を申しあげる。
長谷川 良一
1995年3月 第2回 長谷川先生と行く「明・清の北京,民間工芸の天津」
昨春第1回の企画「胡同の北京・開発の大連」の旅がおわって間もなく,参加者の一部から来春もなにか新しい企画を考えてぜひ実現してほしいという要望があがっていた。その中に天津という声もあったが,第1国の企画があまりにも好評であっただけに,それを上まわるよい企画をたてることは容易なことでなかった。それでどうしたものかとためらわれていたが,12月の中旬になって北京・天津という企画が急に具体化した。
はじめは昨春同様,春分の日をふくめてという期間を設定したが,3月15日をすぎると航空運賃の関係から約5万円アップということで,3月11日(土)から15日(水)の4泊5日ということに決定して,年明けの1月中旬から宣伝をはじめた。出足がおくれたこと,春分の日が含まれなかったこと,阪神大震災による自粛ムードなどが影響したのか,参加者は昨春の60名にたいしで30名たらずしか集らなかった(その内昨春参加した人は18名)。しかし結果としては旅行社の人に悪いが,1台のバスに全員が乗車でき,お互いに話しあう機会があって,昨春の2台のバスに分乗の場合より,団としてのまとまりがあったように思われた。
旅行は天浄2泊,北京2泊ということで,11日の午後,北京到着後は高速道路を利用して,約2時間かけてそのまま天津に直行。棗田副会長の提案で,まえから支配人が知合いという,南市食品街の濱城餐廳で,鳩と朝鮮人参のはいった薬膳料理もならぶという大サービスの最初の晩餐。水晶宮飯店にもどって,いささか強行軍であったが,9時からトヨタ自動車中国技術中心代表の東和男氏から合弁事業についてのレクチャー。
12日の午前はまず芸術博物館。この博物館は天津ゆかりの歴史人物の墨跡,「鍾馗嫁妹」をはじめとする初代・2代・3代にわたる泥人張の泥人形の傑作の数々,明清の年画の所蔵で有名であるが,折あしく年画類が別のところで展示中で見られなかったのが残念であった。つぎに訪れた古文化街は北京の琉璃厰の街並と同様,明清時代の街並を復活させたものだが,86年秋に訪れたときより,商品が格段に豊富になって活気にあふれており,当時出来あがったばかりだった后天宮の本堂のまっ白だった内壁にも,古色そう然たる壁画がいっぱい描かれていて,いかにも様になっていた。ただ店をのぞいたり買い物をしたりする時間がもてなかったのがかえすがえすも残念。この思いは団員一同もおそらく同様だったろう。午前の最後におとずれたのが楊柳青年画工房。この工房の特色は北京栄宝斎と同様,数おおくの版木を使用する木刻水印の技法による複製画の作成と木版と手描きを阻みあわせた年画の作成の2本立であるが,団員のみなさんはこのふたつのちがいを正しく理解してくださっただろうか。
ひるは家庭料理を主とした町のレストラン(日本人の口にあうように淡泊な味つけにされていた)でとったのち,午後最初に見学したのが,昔の天津城内にある戯劇博物館。これは清末に建てられた広東会館という同郷会の建物で,その中に作られている舞台は,蘇州民俗博物館,上海預園などのそれよりはるかに大規模・豪華で,北京の頤和園内にある皇帝の大舞台につぐすばらしさである。これに比べれば昨春恭王府花園で見学した復元された王府の舞台などは,その復元がいかにもインチキくさいものであった。ただ数年後にはこのあたりを天津城として復元させ,この博物館も観光の目玉として脚光をあぴさせるそうであるから,この歴史からとりのこされたような古色そう然たる広東会館のなつかしいたたずまいもいつまで保たれることであろうか。周恩来記念館の展示は,わたしの思いちがいかわからないが,以前よりずっと縮小された感じだった。最後におとずれたじゅうたん工場は,原材料の羊毛が高騰して採算がとれぬということで,工場は見学用の織り機1台をのこして空屋同然,売店のみに完成品がならべられているという状態。80年に別の工場を見学したときの活気はほんのかけらもなく,世界に名高い天津じゅうたんももはや過去のものになったのかと,いささか感無量。天津での食事の目玉は狗不理の包子であったが,その夜,南市食品街の狗不理で食べた包子は,80年,84年に本店の狗不理で食べたものとはいささか違っていて,やや粗製乱造,これといったおいしさを感じなかったのは,わたしが年をとったせいであろうか。団員のみなさんの感想をおきかせねがいたいものだ。
13日の朝は北京にもどって最初におとずれたのが天安門。2度,3度とのぼったことのある団員もいたが,はじめて上にあがった人は49年10月1日の建国式典の当時に思いをはせて,感動もひとしおだったようである。ひるの延吉餐廳では,おいしいと評判の高い冷麺のほかに朝鮮料理のめずらしいフルコースを期待していたが,前菜のほかは牛・羊・いか・えびのお手軽な焼肉料理だけで,いささか期待はずれ。でも最後に出た冷麺だけは,さすがに北京元祖をほこるだけあって,わたしが77年にはじめて試食した時以来の変らぬおいしさであった。食後のひととき,西単の繁華街で見学・買物をすませて,4時から北海公園内の仿膳飯荘で東京銀行の大久保動氏のレクチャーのあと官廷科理。ただ今から反省してみて,この午後のスケジュールはやや強行軍だったようである。大久保氏のレクチャーを別のところにまわし,午後はゆっくりと時間をかけて北海公園のあちこちをのんびりと散歩し腹ごなしをして,夜の宮廷料理に備えればよかったと思うが,これは後のまつりである。心配していた改修もほとんど完了して営業を再開していた仿膳飯荘は,以前2度ばかり訪れたときとはちがって,入口のところで清朝の官女の姿をした4人の少女が踊りで客を迎え,食事中も官女姿の若い女性がサービスをするという,すっかり清王朝風の雰囲気の濃いものになっていたが,料理の方は値段の関係からか,ラクダの手のひらのほかは,それほど珍しいものは出なかった。
14日は日本出発以前,北京放送の陳真先生から,その概要と北京の町の歴史的移りかわりについて詳しくレクチャーをうけていた,このたびの旅行のハイライトともいうべき老北京微縮景園,俗称ミニミニ老北京の見学であった。それは市内から八達嶺への道を約3分の2ほど行ったところにある,天安門広場ほどのひろさをもったテーマパークで,いまはすでに影も形もなくなっている科挙の試験場の貢院の姿など,内堀・外堀の城壁・城門をふくめた主な建築物,いくつかの胡同地区,崇文門・菜市口・鼓楼大街などの繁華街をふくめて15分の1のミニュチュアで再現したものである。北京の3月は天候不順で,当日もし寒波や強風に見舞れでもしたら,それをさけるところもないひろびろとした場所ではどうしたものかと心配していたが,幸いにもポカポカ陽気の上天気。万里の長城の見学に出かけたい一部の団員は見学を30分ばかりで切りあげ,残りの団員は午前中いっぱいかけて,ほとんどの地区を見てまわった。季節的に行楽シーズンにはまだ早かったので,見学者はほかに数組だけ,ほとんどわれわれの団のための貸切りのようなものであった。出来るだけ多くのものを見たいと思ったので,休憩もとらず歩きまわったことをいまでは反省しており,わたしについて見てまわった団員のみなさんにあらためておわび申しあげる。昼食の弁当風になった中華定食は団員のみなさんには食べやすかったようで,好評だった。やはり日本人である。
午後は友誼商店の買物に行くまえに,わたしの提案で鼓楼を見学してもらったが,その階段が急で,困った人びとがおいでになったとか,申しわけなかったと思っている。ただわたし個人のことをいえば,楼上で思いもかけず偶然に,わたしが若い頃曹禺の「北京人」を読んで以来,一度耳にしたいと思いつづけていた鵠哨(ゴーサオ:はとの脚につけたハト笛)の音色を耳にすることができたのは望外のよろこびであった。もっとするどい音と思っていたが,実際に耳にしたものはフワフワというオルガンのかすかなひびきを思わせるやわらかな音色であった。
夜は土鍋料理をかこみながら旅行最後の晩餐をと予定していたが,70年代とすっかり様変わり,真筆なレストランになっていた砂鍋居は30名もはいれる大部屋がなくて仕方なく,別々の部屋で旅行の総括なしのただの会食になってしまったのはかえすがえすも残念であった。このたびの旅行でわたしがつくづく感じたのはこの砂鍋居の例にかぎらず,中国のものごとの変化の大きさで,70年代80年代にわたしが生活していた北京の常識がまったく当てにならなくなっているということである。拝見したアンケートの中にスケジュールの変更に不満を表明されている方もおられたが,昨春,会議開催中で前門の箭楼にのぼれなかつたり,今回の歴史博物館の一部,革命博物館が閉鎖中で見学できないなどのことは,北京に生活しているものにとっては日常茶飯事で,まあまあがまんしていただかねばならないことだが,交気ワールド社長の松田さんのように事前にコースの下見の出来ないわたしなどには,今後,スケジュールどおりの旅行の企画などはとうていたてられないような気がしている。最後にこのたびの旅行の準備をしてくださった校友会の事務局のみなさん,旅行中細かい心遣いを惜しみなくつづけてくださった事務局の坂本さん,昨春同様出血サービスで校友会の旅行を心よくおひきうけくださった松田社長に団員一同を代表して心からお礼を申しあげる。
長谷川 良一
1996年3月 第3回 長谷川先生と行く「早春の紹興-魯迅の故郷を訪ねて」
1997年3月 第4回 長谷川先生と行く「ゆったり西安5日間」(参加52名)
1998年3月 第5回 長谷川先生と行く「明・清の面影を残す江南水郷周庄と蘇州の旅」(参加45名)
1999年3月 第6回 長谷川先生と行く「長江クルーズ・歴史の旅」(参加77名)
2000年3月 第7回 長谷川先生と行く「雲南少数民族と長江上流を訪ねる旅」(参加45名)
2001年8月 第8回 日中学院創立50周年記念中国旅行
A:福建省土楼を訪ねて
B:黄土高原と延安を訪ねて
C:大同と平遥を訪ねて
D:東北周遊の旅
2003年3月 第9回 長谷川先生と行く「世界文化遺産安徽省古民家群と新上海百万元の夜景を訪ねる旅」(参加40名)
2004年9月 第10回 長谷川先生と行く「四川省の自然遺産を訪ねる旅」(参加28名)
第Ⅱ期 2005年~2016年
2005年9月 第11回 湖南省の世界遺産と古城の歴史を訪ねる旅(参加14名)
2007年3月 第12回 貴州省の少数民族と文化を訪ねる旅
2008年3月 第13回 鄭幸枝先生と行く「天津・清東稜・承徳の歴史文化遺産を訪ねる旅」
2009年3月 第14回 日中学院OB山口幸夫先生と行く「四川綿竹・都江堰・雅安・蛾眉山を訪ねる旅」
2010年3月 第15回 福建客家土楼・厦門(アモイ)・鼓浪嶼(コロンス島)・武夷山を訪ねる旅(南橘北往氏Blog)
2012年3月 第16回 山西省平揺古城と懸空寺・五台山古刹を訪ねる旅(参加36名)
2013年2月 第17回 華僑の故郷広東省世界遺産開平楼閣群・梅州・潮州を訪ねる旅(参加19名)
2014年4月 第18回 河南省古都に歴史を訪ねる旅(参加21名)
2015年4月 第19回 黄河中流域の自然を訪ねる旅(参加15名)